鶴見事件の支援と死刑廃止運動の関係について 
02.12.24

 

鶴見事件主任弁護人 大河内秀明

1 死刑制度がある限り誤判による処刑は避けられない。
 イギリスでは処刑後誤判が明らかとなった著名事件が死刑廃止の引き金となった。フランスでも処刑後冤罪の可能性が高まり,ミッテラン政権のとき,死刑が廃止された。
 このように,回復不能な誤判が明るみに出たことが,死刑廃止実現の大きな原動力になっている。
 ところが,日本では死刑再審無罪事件が4件も続いたのに,それが死刑廃止につながらなかった。
 死刑制度の是非を問うとき,わが国では具体的事例に立脚した議論が力にならなかったのは,失敗は水に流して忘れてしまおうとする国民性にも原因がある。失敗事例に徹底してこだわり続け,そこから同じ過ちを二度と繰り返さない教訓を学ぼうとしなかったことに原因がある。
 戦後いち早く死刑を廃止した西ドイツでは,終身刑になったが約20年後に別に真犯人がいることが判明し,釈放された例がある。死刑が廃止されていなかったら,これも回復不能の誤判になっていたことは間違いない。

2 法務省は,わが国では誤って死刑を執行した例はないと言っている。しかし,一旦,死刑を執行した後は,それが回復不能の誤判だったと認めることは,国家にとって耐えがたいスキャンダルであるから,いかに重大な疑いが生じ,仮に無実の確信が得られたとしても,それでも国家は何としてでも誤判であることを隠し通そうとするであろう。それが死刑の論理というものである。

3 10数年前に著名な刑事法学者によってわが国の刑事裁判はかなり絶望的であると言われ,数年前に退職した良心的な元刑事裁判官によって日本の刑事裁判は野蛮であるとまで酷評されている。
 依然として自白に頼るわが国の警察の捜査能力がイギリスの捜査能力に劣ることは周知の事実である。ところがわが国の有罪率が99.9%を超えているのに比し,イギリスでは刑事事件のうちの約1割が無罪の答弁によって有罪か無罪かが争われる裁判となるが(年間約2万件),そのうち,実に60%以上が無罪となっている。
 
日本のように超高率の有罪率のもとでは,検察官は,一旦,起訴した以上は,あらゆる手段を駆使して有罪判決を獲得しようとし,検察に不利な証拠は隠蔽しようとするし,裁判官も,検察官に気を遣って有罪の方向に傾きがちとなる。
 日本の刑事裁判は,誤判の温床であると言っても,刑事裁判の実態に詳しい弁護士なら異論を差し挟む者はおそらく皆無であろう。

4 鶴見事件では,被告人は自白しているが,真犯人でなければ知りえない秘密の暴露が存在しないばかりか,犯行の核心部分である凶器,殺害順序については明白な虚偽記載であることを高裁判決も認めているが,それは真犯人でないために知らない無知の暴露の可能性もある
 現在,裁判所に係属している死刑相当事件の中で,冤罪の可能性の最も高いのが,この鶴見事件であるといっても過言ではない。
 高裁の死刑判決の2週間後,中西裁判長は,突然退職し,公証人になった。将来は最高裁入りも嘱望されたエリート裁判官が,何の理由もなく辞めて隠居同然の公証人になることは考えられない。前向き志向の強い性格の中西裁判長からは想像すらできない転向である。
 考えられる理由はただ一つ,鶴見事件が冤罪である可能性を自ら払拭できなかったことに尽きる。
 それは,刑事裁判の有罪認定の基準が,犯人であることについて「合理的な疑いを入れない程度」に立証できなければならない,とされているからである。しかし,この「合理的な疑いを入れない程度の立証」とは,いかにも主観が入りやすい概念である。そして,現実の裁判では,一般にかなり緩く扱われており,低い証明度で有罪の認定が行われる傾向にある。中西裁判長とて,その例外ではありえない。その低い有罪認定の基準を鶴見事件に当てはめれば,自ずから有罪の結論が導かれる。しかし,中西裁判長も,被告人を犯人と断定するにはかなりの不安を感じたはずである。中西裁判長は,まだ58歳の若さである。当然,東京高裁の裁判長として,今後,幾多の死刑相当事件の審理を担当しなければならない。しかし,いまさら,彼がこれまで裁判官として30有余年やってきた有罪認定の基準をより厳しくすることはできない。なぜなら,そうすることは,とりもなおさず,過去において限界事例で有罪にした事件はすべて誤判だったと認めることになってしまうからである。それ故,裁判官としてのこれまでやってきた基準に縛られる制約と,鶴見事件で問われた人間としての良心の板ばさみにあい,結局,このまま裁判官を続けて,その乖離に悩むことに絶えられなくなったので,それから逃れようとして退職したのだと,私は受け止めている。それ程,鶴見事件は,裁判官にとってもきわどい事件なのである。

5 今後は,具体的事例を通して,冤罪の可能性を広く世間に訴えることによって,死刑廃止の運動につなげていかなければならない。
 地下鉄サリン事件以来の昨今の風潮を考えると,一般論や原則論に基づいた死刑廃止論の展開だけでは死刑廃止が実現できる状況にない。具体的な事件を通して,広く世間に訴えるよりほかに死刑廃止の実現はおぼつかない。
 イギリスは無実の者を死刑にしてしまった後,死刑を廃止した。人間の弱さを認識するとともに失敗から深く学んだことが,人に死刑を拒否する力を与えたのである
 日本で誤判による死刑執行が起こらないとは,誰も断言することはできない。無実の者を死刑執行したイギリスの一例を挙げるだけで,死刑を弾劾するのに十分である。失敗事例を徹底的に研究し,そこから同じ過ちを繰り返さない教訓を得るには,イギリスにおける回復不能の誤判の一例があれば十分である。我々は,日本で,その教訓に学び,同じ轍を踏まぬよう心しなければならない。

6 よって,鶴見事件を支援することは,現在,最も有効な死刑廃止の運動であるといってよい。個人の尊厳の根幹をなす生命を尊重しない社会が,はたして民主主義社会といえるであろうか。今より少しでもよりよい社会の実現を目指し,蟷螂の斧を粘り強く振るい続けることが,この事件に関わった弁護人の使命であると考えている。これが,これまで弁護団を支えてくださった支援の方々に対し,今後も変わらぬ支援を強く求めるゆえんである。

  


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