鶴見事件その後のご報告 02.07.27

支援の皆様へ
弁護人 大河内秀明

1 検察官の最終弁論の検討

715日に行われた最終弁論は,弁護側と検察側の双方がそれまでの活動を総括しそれぞれの主張の正当性を裁判官に強くアピールしようとするものです。もし弁護人の最終弁論が説得力を欠いたものであれば,裁判官の心証は有罪のほうに動くでしょうし,検察官の最終弁論が説得力を欠けば,裁判官の心証は無罪の方向に動くことになります。非常に重要な意味を持っており,双方の攻防の集大成であるといっても過言ではありません。

弁護人の最終弁論は,ご紹介済みの「第20〜23回公判のご報告」を骨子とするものですので,ここで改めて説明する必要はないと思います。そこで,ここでは,検察官の最終弁論について検討します。

  1. 検察官は,まず被害者が最後に生存を確認された時刻について,次のように主張しました。近所の主婦が被害者男性を目撃した時刻は午前10時39分までしか遡れない,そして,被害者女性は午前10時25分頃に電話に出た後は,生存は確認されていない,と。しかし,弁護側は,「被害者両名は,10時半頃,男性が事務所に戻った後,被告人が事務所を訪れる10時55分以前に,複数犯によって殺害された」と主張していますので,検察官のこの指摘は,争点とは何ら関連性がありません(ちなみに弁護人は,男性が目撃された時刻は10時35分頃まで遡れると言っており,検察官の主張とあまり違ってはいないのです)。つまり,それが仮に検察官の主張どおりであったとしても,何ら弁護側の主張の妨げになるものではないからです。したがって検察官の主張はまったく的外れです。
  2. 次に,検察官は,倒れた男性のシャツや腕時計に女性の血液による飛沫血痕が付着しているので,男性が先に殺害されて倒れているところへ,事務所に戻ってきた女性が攻撃されたことになると主張しました。つまり,女性の傷口からの出血が飛び散って,倒れている男性のシャツや腕時計に付いたというわけです。しかし,検察官は,男性のシャツの左肩付近に付着した擦過血痕が男性と女性の血液が混じったものであること(これはDNA鑑定で判明しています)については,犯人が男性の左肩付近を殴打したとき,凶器にはすでに女性の血が付いていて,それが男性のシャツのその部分に接触したため混合血の擦過血痕となった可能性はあると言っています。その可能性を認めつつ,それでも,男性が攻撃されたとき女性は外出先から戻っていなかったといえるのでしょうか。明らかに論理矛盾というほかありません。このことと,女性が外出したということが証拠によって裏づけられていないこととを考え合わせると,誰が考えても,「女性が外出先から事務所に戻ってくる前に男性が殺害された」とする検察官の証拠構造の破綻は明らかなことだと思います。
  3. 被告人は,捜査段階で,「午前10時45分頃,事務所から車で5分ほどのところにある公衆電話から仕事先のYさんや知人のIさん(故人)に電話をしており,その電話の後,午前10時55分頃,事務所に行ったら被害者2人はすでに死んでいた」と弁明し,控訴審でそれを裏づけるIさんの娘さんの証言がありましたが,検察官は,その証言は,証人が「弁護人から言われたことをそのまま自己の記憶内容として証言したと評しても過言ではない」ので信用できない,と主張しました。しかし,主任捜査官米田刑事は,昨年11月,控訴審の法廷で,「Iさんやその雇い主のKさんのところに警察官が事情聴取に行った事実はない」とか,「事件から9年後に警察官がYさんのところに事情聴取に行った事実はない」などと事実に反する証言をしており,この事実を隠蔽しようとしています。検察官の批判は,何ら根拠がなく単なる憶測にすぎません。検察官は,警察官がKさんのところに聞き込みに行った事実を認めておきながら,それを否定した米田刑事の証言について,警察に対する義理立てからでしょうか,「(米田が)虚偽の証言をしたとの(弁護人の)主張にも全く根拠がない」と訳の分からない弁論までして米田をかばっています。
  4. 被告人は,法廷で,取り調べの初日である昭和63年71日付けの上申書は,その日に書いたものではないと述べていますが,検察官は,翌2日の送検時に送致書にそれが添付されているので,被告人は嘘をついていることになると,最終弁論で主張しています。
    しかし,この主張に至っては,検察官は,その直前の弁護人の最終弁論を無視しているとしか考えようがありません。つまり,弁護人は,この上申書には,7月1日の時点では警察官がまだ入手していない情報が含まれているので,その日に作成できるはずがないこと,したがって,それは,7月2日,午前9時から午後3時過ぎに被告人が送検されるまでの間に作成されたとしか考えられないことを弁論で指摘しているのです。検察官の弁論は,弁護人のこの弁論とは無関係に自分の見解を述べる演説にすぎません。弁論とはargument(議論,論争)であり,一方的に述べる演説(statement)ではないはずです。
  5. 最後に,検察官は,殺害状況と凶器に関する被告人の自白は信用できると主張しています。しかし,検察官の主張は,何らその根拠を積極的に示したものではなく,殺害態様についての自白の変遷は必ずしも不自然ではないとか,凶器については,齋藤埼玉医大教授に論破された的場阪大教授の見解を根拠に自白どおりバールとドライバーと認められるというに止まるもので,決着済みの論争を根拠もなく,ただ単に蒸し返しているにすぎません。的場鑑定が齋藤教授に論破されたと悟った検察官は,厚かましくも再度的場教授を証人に立てようとしました。しかし,それはいかにも不公正な訴訟手続であるとして弁護人が強く反対したこともあって,結局,検察官のこの請求は却下されました。それはともかく,検察官は,再び的場証人を立てなければ,的場鑑定は裁判官に受け入れられる余地はないとみたわけです。それが却下されたことによって,的場鑑定は止めを刺されたのです。的場教授は,法廷で,バールを凶器とする鑑定の経験が4,5件はあると嘘の証言をした人物です。中立公正な鑑定人とは到底いえません。鑑定も信用できないのは当然です。
  6. 以上のとおり,検察官の最終弁論は,まったく説得力に欠けるもので,もはや検察官は,被告人を強盗殺人については有罪にすることはできないと諦めたのではないか,という印象すら受けます。

2 最終弁論の後の活動 

  1. 支援の方々への学習会

    722日,新宿の日本キリスト教会館で,判決を展望する学習会を開催しました。
    弁護人は,この日,お集まりいただいた支援の方々に,2時間近くかけて事件を総括する説明をしました。複雑な因果の連鎖を正確に説明しようとすれば必然的に話は難しく,ともすればくどいものになります。しかし,皆さん,我慢して熱心に聴いてくださいました。
    判決の展望については,これだけの重大事件だからそうそう楽観はできないという捉え方も確かにあるとは思います。そのような漠然とした危惧感を抱く人がいてもそれはそれで不思議はありません。しかし,私(主任弁護人)は,そのようにいたずらに危惧感や不安感を抱くのではなく,これまでの審理を冷静に分析して総括し,弁護活動を虚心坦懐に振り返り,具体的に不安の残る要因の有無を徹底的に調べ上げ,もしやり残したことがあれば,それが分かった時点で最善の方策を考えることこそが肝要であると思っております。危惧感や不安感を抱くだけでは,事態はいささかも好転しません。そのようなことを口にするのは有害無益なだけです。
    私は,最終弁論が終わっても,判決期日までは,弁護活動の過程をつぶさに検証し続けるつもりです。そして,それが「死刑」から高橋和利さんを取り戻す会に参集してくださった支援の方々に対する弁護人の責務でもあると思っております。
  2. 東京医科歯科大学医学部大学院における特別講義

 7月26日私が講師をしているこの大学の大学院博士課程の医療情報学等関連講義において鶴見事件を題材とした講義(90分)をしました。いまどきの学生には珍しく専門外の話であったにもかかわらず,終始,非常に熱心に聴講してくれました。その質疑応答の中で,大変感心したことがありますので,ご紹介します。
ある学生から,このような状況,すなわち白昼,市道に面し,外から中が見える事務所内で,いつも一緒にいる2人の被害者を同時に殺害する計画を立てるなら,「バールのような鈍器を凶器に選ぶということは考えられない。自分なら,包丁のようなものを使うだろう」という発言がありました。
この発言に代表されるように,講義を聴いた学生の印象も,大方は,被告人は犯人ではない,というものでした。明るいニュースと思いますので,私事ながら,紹介させていただいた次第です。

3 判決の見通し

 最高裁判例によると,犯罪事実の証明には,「通常人なら誰でも疑いを差し挟まない程度に真実らしいとの確信を得ること」が必要とされています。また,別の言い方をすれば,「反対事実の存在の可能性を許さないほどの確実性」が求められるとも述べています。検察官による犯罪事実の立証がそのレベルに達しないときは,いまだ犯人と断定するには合理的な疑いが残るとして無罪を言い渡さなければならないのです。

 本件では,同時殺害の可能性が濃厚となっていること,かつ凶器及び殺害順序という犯罪事実の根幹をなす事実関係に関する自白部分の真実性に極めて大きな疑問が生じていること,しかも被告人は犯行時間帯には事件現場以外のところにいたとする証人の相当確度の高い証言もあること,さらには被告人以外の人物で一旦は捜査線上に浮かんだ複数の容疑者がおり,しかもその犯人性がいまだ払拭されたとはいえないことなどを総合勘案するとき,到底上記最高裁判例の有罪認定の基準に達する証明ができたとはいえません。

 このように考えてくると,被告人を有罪にするための具体的な要因を,私にはどこにも見つけることができなくなるのです。したがってその必然的な論理的帰結としては,「被告人は強盗殺人については無罪」という結論しかないのです。

 


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