01年3月5日の陳述書(要旨)

 


 鶴見事件現時点での総括

主任弁護人  大河内 秀明

 裁判長が交替しました。そこで、3月5日、手続きの更新にあたって意見を陳述しました。これがその要旨です。弁護人は、この更新意見によって、中西新裁判長の思考回路を、有罪推定から無罪推定に切り替えることに成功したと思っています。100%無罪のシナリオを完成させたと思っています。そこで、少し長くて恐縮ですが、傍聴に来られなかった支援の方々にも、ぜひ読んでいただきたいと思います。なお、文中、被害者の氏名は仮名にしました。

 かなりの量ですので、プリントして読まれるのもいいかと思います。

 

  1. 原判決の欠陥
  2. 控訴審における検察官の立証活動
  3. 考えられる殺害態様
  4. 事件当日、梅田商事に赴くまでの被告人の行動
  5. 結論
  1. 原判決の欠陥

     強盗殺人という犯罪事実の3要素ともいうべき、@「凶器は何か」、A「犯行計画はどのようにして立てられ進められていったか」、そしてB「殺害の実行行為はどのようにして行われたか」ということについて、原判決は、自白にはこれらの主要犯罪事実を認定するだけの信用性がないことを認め、かつその犯罪事実の解明をあいまいにしたまま、しかし、それにもかかわらず、「被告人と朴との間で架空の融資話が進行していったこと、朴が1200万円を用意したこと、被告人が犯行時間帯と考えられる頃に梅田商事事務所に行っていること、被害者夫婦が殺害されたこと、そして、被告人が事務所にあった金を持ち去ったこと」、以上の事実を基にして、被告人を犯人と断定したのです。
     ところが奇妙なことに、この判決は、犯罪の主要事実についての自白の信用性を自ら否定しているにもかかわらず、結論としての有罪認定を導くための手法としては、大きく自白に依存していて、 有罪を認定した判決理由の大半を自白の分析に割いているのです。自白の信用性を肝心の所で否定しておきながら、しかし自白に頼って有罪を認定しようとするこの判決の態度は、いかにも不可思議というほかありませんが、この事実こそ、有罪認定の証拠がいかに貧弱であるかということを自ら暴露しているのです。
     この判決は、「自白に頼った捜査が行われ、自白以外の証拠による裏づけが貧弱であるにもかかわらず、警察の見込み捜査を踏襲して有罪を認定した」という点で、1980年代以降、再審で無罪になった4件の死刑事件と同様、典型的なえん罪事件の構造をもった自白中心主義に立つものであり、そこには、客観的な事実を積み重ねることによって事案の真相を明らかにしようという視点がまったくみられません。
     以下、具体的に述べますと、
     a  まず、被告人が凶器であると自白したバールとプラスドライバーについて、判決は、結論として、それらが「すべての傷を明快に説明しているとは到底いえない」と述べ、結局のところ、何の凶器の解明もしていません。
     b 次に、犯行計画論 がありません。例えば、道路に面した事務所に常時2人いる被害者夫婦を、白昼、単独犯が鈍器で殺害するという計画自体、立てようがありません。
     c さらに、肝心かなめの犯行の実行行為である殺害態様 に至っては、解明されていないどころか、判決の欠陥を判決自らが、隠蔽しようとさえしているのです。
     検察官の主張である「ヨシ子(朴の内妻)が外出している間に、銀行から事務所に戻ってきた朴がまず先に殺され、そのあと外出先から事務所に戻ったヨシ子が続いて殺害された」という構図(朴、ヨシ子の順の異時殺)は、ヨシ子が外出した形跡のないことから完全に破綻しています。のみならず、朴が先に事務所の座敷の流しの前で倒れていたとすれば、その足元付近でヨシ子が攻撃を受けたとは考えにくく、その付近に存在するヨシ子の出血による血痕の説明も困難であるなど、現場状況とも符合しないのです。
     にもかかわらず原判決は、ヨシ子が外出した形跡がまったくないという弁護人の指摘を完全に無視し、ヨシ子が外出したか否かについて一言も触れようとはせず、朴が攻撃を受けている時、ヨシ子はどこで何をしていたかについては一切関知せずといった、臭い物には蓋を、という態度をとっているのです。 原判決のこのような態度は、検察官の描こうとする殺害態様の構図を認定することができなくても一向に差し支えはない、朴が攻撃されている時、ヨシ子はどこで何をしていようと頓着する必要はない、よしんばヨシ子が事務所にいて、ヨシ子も朴と同時に攻撃を受けたのだとしても一向構わない、ということを承認しているものと受け取るほか、理解のしようがありません。
     原判決は、そのあまりにも粗雑でずさんな認定の最大の欠陥であるヨシ子の外出の有無についての判断を回避することによって、その欠陥を粉飾しようとしているのです。これでは、粉飾決算ならぬ粉飾判決です。
     原審の上田裁判長は、いわゆる葛生事件一審判決の裁判長を務め有罪判決を下していますが、その控訴審で「原判決の認定方法については、犯人の実行行為に関する検討に不充分なものがあることを指摘せざるを得ない」「原判決の認定するような殺害方法がとられたとするならば、・・・・被告人にこれだけの犯跡隠蔽行為を考えつくだけの計画性や知識があったといえるのかは、すこぶる疑問であって、原判決の認定は、かかる被告人の知識・能力という実行行為にかかわる観点からの考察を欠いているものといわざるをえない」 と痛烈に批判されて破棄され、無罪となっています。
     本件原判決で、上田裁判長は、葛生事件における認定方法の誤りを、より一層ずさんかつ開き直った形で繰り返しているといわざるをえません。すなわち、本件原判決は、凶器論、犯行計画論についてもしかりですが、とくに実行行為論 にかかわる観点からの考察に至っては、単に欠如しているだけでなく、粉飾してその欠陥を隠蔽しようとさえしているからです。
     原判決は、このような悪癖をもった上田裁判長が下した判決であって、この裁判官に固有の欠陥を有するものと評するほかありません。
     要するに、原判決は、「架空の融資話が進み、そして現場に行き、金を持ち去った」という事実によって、被告人は怪しい人物であるから犯人であると認定しただけであり、それ以外の何物でもありません。これは、まさに警察・検察の論理と同じレベルのものであって、およそそれをチェックすべき裁判所の採るべき論理ではないのです。


  2. 控訴審における検察官の立証活動

     検察官には、このような原判決の欠陥がよく分かっていました。だからこそ、検察官は、原審で有罪判決を獲得しているにもかかわらず、控訴審で、その欠陥を補強するための立証に力を入れているのです。的場鑑定書しかり、DNA型鑑定しかりです。
     検察官が力を注いだ立証の一つに、凶器の鑑定があります。山下永寿検察官の言葉を借りれば、100年の歴史に耐える立派な鑑定だという的場鑑定書がそれです。
     しかし、検察官の依頼を受けて鑑定をした御用学者・的場梁次阪大教授は、弁護側の反対尋問によって完膚なきまでに粉砕されました。
     検察官が力を入れた立証の二つ目は、DNA型鑑定です。
     検察官は、この鑑定で、ヨシ子の出血部からの血痕が朴のシャツに付着していることを立証することによって、検察官の描こうとする殺害態様を裏づけようと考えました。
     しかし、仮にそれが立証できたとしても、それは検察官が主張する殺害態様を何ら裏づけるものではないのです。2人の被害者が同じ部屋の中で、鈍器で殴られ、頭を鉢合わせるように倒れており、しかも大量の出血が認められるという現場の状況から考えて、ヨシ子の血液が朴のシャツに飛んでいるということだけから、殺害順序を論じようとすること自体が、どだい無理な話なのです。特に同時殺の場合であれば、それは当然あり得ることだからです。したがって、検察官の、この点に関する立証の狙いは、まったく的はずれというほかありません。
     原判決は、検察官が描こうとする殺害態様の構図には、ヨシ子の外出の有無を解明できないことに起因する著しい難点があることは百も承知のうえで、なおかつそれを明示的に否定することは避けつつ、しかし言外には、明確に「同時殺」の可能性を残しており、そしてその場合においても被告人を死刑にしても何らさしつかえないと判断しているのです。つまり、裁判官と検察官は、癒着し馴れ合って、被告人を死刑にしようとしているのです。

  3. 考えられる殺害態様

     論理的には三とおり考えられます。同時に殺害されたか、それともそれぞれ被害者が1人でいるとき別々に殺害されたかであり、別々に殺害された場合は、どちらが先かによって二とおり考えられます。
     鈍器を用いた単独犯の場合、考えられるケースは、弁護人の主張する「ヨシ子、朴の順の異時殺」か、あるいは検察官の主張する「朴、ヨシ子の順の異時殺」かのどちらかだけです。
     そして、ヨシ子が外出した形跡がないことや現場の状況からみて、検察官の主張する「朴、ヨシ子の順の異時殺」は完全に否定され、弁護人の主張する「ヨシ子、朴の順の異時殺」だけが可能性のあるものとして残ります。
     複数犯の場合は、弁護人の主張する「ヨシ子、朴の順の異時殺」に加えて、被害者夫婦が事務所に一緒にいるところを襲われ、同時に殺害された場合も考えられます。
     そこで、複数犯による同時殺を想定して、現場の状況など客観的事実と符合するかどうかを検討してみますと、細かい話は割愛しますが、要するに、同時殺を仮定しても、現場の状況と実によく符合しており、何一つ矛盾する点は見当らないのです。

  4. 事件当日、梅田商事に赴くまでの被告人の行動

     原判決は、「被告人が梅田商事に赴く直前までの行動をうまく説明できない」ことを、被告人を犯人と断定した有力な根拠の一つに挙げています。
     この点について、検察官は、当初、「午前10時30分頃、被告人が、(生麦ランプ)近くの公衆電話から自宅へ電話したところ、妻から『梅田(朴のこと)さんから電話があり、金の用意ができたから10時半に来てほしいと言っていたよ』と告げられ、直ちに事務所に電話し、そして事務所に向かった」と述べていました。ところが、最後になって、被告人が妻から朴の伝言を聞いた時間を9時55分頃と変更しています。
     これは、その間に、弁護人が、ヨシ子が外出した形跡のないことから、検察官が描いている「朴、ヨシ子の順の異時殺」が成り立つ余地はなく、異時殺のときは、順序はその逆の場合しかありえないと指摘したためです。
     すなわち、この時間の変更は、決して証拠の評価の変更によるものではなく、検察官が、弁護人の指摘によって、「ヨシ子、朴の順の異時殺」の可能性が濃厚になったと判断し、その場合においても、論理的には被告人が犯人たりうる余地を残しておく必要があると考えて行った軌道修正だったのです。
     単独犯の場合の殺害態様、すなわち「ヨシ子、朴の順の異時殺」の場合は、被告人が妻から朴の伝言を聞いた時間が、もし10時半頃であれば、それは朴が銀行から事務所に戻ってくる頃の時間になってしまいますので、朴が銀行から戻ってくる前に、被告人がヨシ子を殺害するということはありえませんが、それがもし9時55分頃ということになれば、それから事務所を訪れて、朴が銀行に行っている間にヨシ子を殺害し、何食わぬ顔をして朴が事務所に戻ってくるのを待ち、それから朴を殺害したという殺害態様は論理的な可能性としては何ら問題なく成り立ちます。この可能性を残しておくために、検察官は、原審で、被告人が最後に妻にかけた電話の時間を変更したのです。
     しかし、原判決が、ヨシ子の外出の有無についての判断を回避したため、検察官は、それをよいことにして、控訴審でも、当初からの殺害態様、すなわち「朴、ヨシ子の順の異時殺」を堅持しているのです。
     ヨシ子が外出していないことはもはや決定的となっていますが、それでも検察官が当初からの殺害態様を崩そうとしない背景にはこのような事情があります。
     検察官は、弁護人が書いた本件事件を題材とした本の中に、殺害順序を変更した場合には、「被告人にアリバイが成立する証拠を弁護人はつかんでいる」と書かれているので、殺害態様の変更をうかつには口にすることができないのです。
     そのため、控訴審の審理は、弁護人からみれば、的場鑑定書といい、はたまたDNA型鑑定といい、いずれも核心を外れた感があります。

  5. 結論

     もはや被告人の無罪は動かぬ事実として明々白々になっています。
     弁護人は、現裁判所に対し、迅速な裁判によって、真相を見極めたうえで公正な立場で納得のいく判決を言い渡されるよう、要請します。

 

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