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鶴見事件
高橋さんの手紙
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あとがき

死刑問題と鶴見事件
裁判に誤判は付き物


 死刑を廃止すべきかどうかという問題については、凶悪犯罪を抑止する効果があるかどうか、残虐な刑罰といえるかどうか、あるいは被害感情や素朴な正義感から「人の命を奪った者は自らの命をもって償うべき」かどうかなどの諸点が、従来から論じられています。そしてこれらの点については、賛否両論のそれぞれに一理があると認めることもできます。
 しかし、死刑制度を考えるとき、どうしても避けて通ることのできない深刻な問題があります。それは誤判の問題です。懲役刑については、人間が運用する制度ですから、誤りは付き物だといって済ませることができるとしても、「無実の者が誤判によって死刑に処せられることがあってもやむをえない」、という人はおそらくいないと思います。
 イギリスが死刑を廃止したのは、処刑後に無実が明らかになったことが大きなきっかけでした。
 フランスでも、処刑後もずっと無実の可能性が論じられた事件があり、それも大きな影響を及ぼして、ミッテラン政権のとき、ついに死刑が廃止されました。
 そのほか、戦後いち早く死刑を廃止したドイツで、殺人事件の犯人とされて刑に服していた男が、約二十年後、たまたま別に真犯人が発覚したことから、無実が証明されたという事件も起きています。
 わが国においても、戦後、四件もの死刑再審無罪事件が発生しています。これらの事件の被告人はいずれも、警察の取り調べにおいて自白を強要され、いったんは殺人を認めているのです。最高裁で死刑が確定した後、日弁連が救済に乗り出した結果、再審によってかろうじて処刑を免れたのです。四件の死刑事件について再審が開かれ、そのすべてが無罪になったということは、それまで「開かずの門」といわれた再審の門が開かず、処刑された無実の死刑囚がいたことを裏付けていると思います。
 このように裁判に誤りが付き物であることは、誰も否定することは絶対にできないのですが、法務当局は一貫して「わが国においては、誤って死刑を執行したことはない」と主張し続けています。そして、死刑再審無罪事件はいずれも、戦後十年間くらいの間に、しかも地方で起きた事件であって、その後、世の中が落ち着いてからは起きていないと言っています。

 しかし、残念ながら、この法務当局の見解は誤りです。それは、先に述べた鶴見事件が実証しています。私の刑事弁護の経験からも、今も、死刑事件に限らず、多くの誤判が起こるべくして起きていると断言できます。医者に誤診があるように、裁判に誤判は付き物であるといわざるを得ません。しかも、死刑を言い渡される可能性のあるような殺人事件では、被害者は死亡していて目撃者がいないことも多いため、難事件になる可能性は、他の刑事事件より大きいのです。
 著名な刑事法学者である平野龍一博士は十数年前、「わが国の刑事裁判はかなり絶望的である」と痛烈な批判をしましたが、その後、改善されるどころか、悪化しているといってよいと思います。

 鶴見事件は、一見、容疑が濃厚とみられた高橋さんを犯人と思い込み、証拠を曲げるなど無理なこじつけをして犯人に仕立て上げた捜査ミスがもたらした事件ですが、それを裁判官が見抜けず、弁護側の反論を完全に黙殺し、捜査側の主張を鵜呑みにしたため起きた誤判です。しかも死刑を宣告した恐るべき判決です。絶対に許されない不正義です。
 この事件は、現代では誤判による死刑は起きないという法務当局の前述の見解が誤りであり、誤判を防止できるということが幻想であることを雄弁に物語っています。


 事件は、現在、東京高裁・第11刑事部に係属しています。
 また、先日出版されました拙著『無実でも死刑、真犯人はどこに−鶴見事件の真相−(現代企画室 発行)に、詳細な記述があります。

弁護士 大河内秀明

 

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